薬師寺 管主 加藤朝胤氏の法話③ 前回のつづき
今回の書院の再建もご先祖様のことを思い、未来の人のことを思い。そういった建物があったらもっともっと役にたたせていただけるということで、皆さんお力を下さいということで。ご住職さんはじめ建設委員の方々がご尽力されて再建することができました。
自分の為ではなく自分のご先祖様、自分の子供や孫やひ孫・・これは何か。
それは未来。その未来の為に私たちはその温かい心を。わずかかもしれない、一人の力では何もできないかもしれないが大勢の力を集めて。まとまったものができる。
後ろ指を指すといいますが、後ろ指を指されても見えません。昔は三面鏡があったので自分の後ろ姿が見えましたが、最近は三面鏡がないので自分の後ろがみえません。ですから最近は自分の正面しか見ません。そしたらどうなるかというと自分の顔だけが気になるようになります。自分の後ろ姿をまったく気にしなくなるのです。
一番大切なのは自分の後ろ姿なのです。自分の生きざまなのです。どんな風にして生きることが大切なのか、何をすることが大切なのか。
お釈迦さまの教えが形になったものがお経です。
薬師寺というお寺は今から480年前に火災で焼けてしまいました。たった一つ残ったモノが東の棟になり、今年の4月に落慶法要があるそうです。
ご本尊も火災時に焼けたそうですが、銅製のため焼け残りましたが、約70年あまざらしでした。薬師寺は檀家がいないので金堂の再建の為に写経を始めたそうです。
わたくしも小学生の頃に祖父母につれられて薬師寺で写経をした記憶が微かにあります。
そのお写経は金堂に保存され毎日お経を上げてくださっているそうです。
このお経をお手本の上からなぞって真似る。
まねるは真似るで学ぶといいます。
しかし、写し始めたとたんに私たちの心は変わってしまいます。上手く書きたいと褒められたいと自我がでてきます。謙虚な気持ちで思いやりの心で写していただきたいそうです。
どなたにも美しい清らかな心がありますので、是非写経をしていただきたい。
私たちの“こころ“といますが、心の語源は何かご存じでしょうか。
心というのはどんどん変化しますので。心はコロコロ変わる。コロコロのロを一つとって心といいます。いつまでも優しい心豊かな心、とらわれない心ということで般若心経を教えてもらっています。それは偏らない心、こだわらない心を広く広くもっていただきたいです。
高田好胤管主さんは人にとても優しい方だったそうです。人に優しく自分に厳しい方です。
今の薬師寺があるのは高田管主が始めた写経運動のおかげと言われています。
私も高田好胤管主と少しご縁があります。
私の名前をつけてくださったのが高田好胤管主なのです。
薬師寺の東棟の九輪の擦に刻まれた銘文から一文字つけてくださりました。
加藤管主にそのお話をしたところ、高田管主が名前をつけてくださることはほとんどなかったと記憶しております。大事になさってくださいと言ってくださいました。
寂寂法城福崇億劫慶溢萬齢